下関は古くから栄え、賑わってきた都市です。長門国、赤間関市、下関市と、呼び名は時代により変化していますが、壇ノ浦の源平合戦、明治維新前の奇兵隊の活躍等、歴史の節目に登場してきます。
江戸時代には、日本海側と上方(大阪)を結んだ西廻航路(北前船)の停留所となり、明治期には鉄道も敷設され、本州と九州、日本と大陸(釜山)を結ぶ交通の要衝でした。一地方都市でありながら、明治15年には日本銀行西部支店が、大阪に次ぐ西日本で2番目に設置され、明治34年には英国領事館が開設されるなど(各国が商社を設立)、活気にあふれていました。
吉村印刷周辺も、そんな歴史の息吹を伝えるものが多く残っています。その一端を少しずつ紹介していきたいと思います。
■歴史ある街の地名
地名にはいろいろな意味が込められています。町村合併や改名等によって、スマートな呼び方に変わることもありますが、昔から呼ばれていた地名から成り立ち、歴史が分かることがあります。
昔の地名なんて忘れられてしまいそうですが、実はそうでもありません。ヒントが身近なところにあります。
吉村印刷の近くにある田中町は、唐戸湾の入り海で川の土砂が堆積してできた土地で、その昔、この一帯は田が広がっていたことからつけられた地名です。
またその付近には、西の端と呼ばれていた地域があります。
今はまったくその面影はありませんが、遠い昔、本当にこのあたりは海だったのです。関門海峡の一部を埋め立ててできた土地が、現在海響館や唐戸市場などがある唐戸周辺だということなのですが、調べていくとなかなか面白いです。