下関市南部町は、下関市役所の所在地ですが、「なんぶちょう」ではなく、「なべちょう」と読みます。位置的には、市役所周辺から海響館前バス停(ちなみにこのバス停も一昔前は西南部町でした)あたりまでの地域が南部町です。
この町名の由来は、14世紀半ばに築かれた南部城に由来しているようで、江戸期には南部と呼ばれる一村があったことがあり、のちに東西に分かれたそうです。
今からは想像もつきませんが、その昔、南部町周辺は問屋街でした。港周辺には船が並び、活気に溢れていたようです。
下関海峡は、日本海側や九州地方から、船舶を用いて大阪や京へ物資を搬送する際に通過する拠点でした。
江戸期に、長州藩が下関海峡を通して上方に物資を輸送する運送業者に向け資金を貸し出し、利息を取ることで利益を得るための役所が設置されました(Wikipedia参照)。この役所は越荷方(こしにかた)と呼ばれ、その跡地には石碑が建てられています。
また、このあたりは晩年金子みすゞが過ごした地でもあり、関連の碑がいくつかあります。
しかし、昭和20年、第二次世界大戦の空襲で町の大半を消失してしまいます。
その後、昭和29年に西南部町、東南部町、唐戸町の一部から南部町が新設され、昭和31年に西南部町と東南部町が全域統合されます。
身近な町ですが、掘り下げるとまだまだ深い歴史がありそうです。
(角川書店 角川日本地名大辞典 35 山口県 参照)