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長崎街道を歩く① 黒崎宿→木屋瀬宿


長崎街道とは、豊前国小倉(北九州市小倉北区)の常盤橋を始点として、肥前国長崎(長崎県長崎市)に至る、江戸時代に整備された九州地方第一の脇往還のこと。距離にして57里(約230㎞)もあったことから、途中には25の宿場が置かれ、日本でも主要な脇往還の1つだったそうです。

また長崎街道沿いの諸藩には、オランダや中国との貿易で栄えた長崎から大量の砂糖が運ばれたため、「カステラ」や「丸ぼうろ」といった現在でも有名な南蛮菓子の製造が盛んになり、その後佐賀県小城市の銘菓「小城羊羹」や福岡県飯塚市を代表する銘菓「千鳥饅頭」なども誕生。そんな由来から「砂糖の道=シュガーロード」とも呼ばれているんだそうです。

以前から、北九州に長崎街道の名残が残っている場所があるとの情報を耳にし、存在が気になっていたのですが、先日ようやくその一端を歩くことができました。

↑小嶺一里塚跡。街道の両側に一里(約4㎞)ごとに設けられた塚の1つで、江戸時代の旅人には距離の目安となった。



八幡西区黒崎の少し先から木屋瀬(こやのせ)に向けて歩き始め、途中「石坂の急坂」という難所の手前にある「立場茶屋銀杏屋(たてばぢゃやいちょうや)跡」に寄り道。


この茶屋には、参勤交代で往来した諸大名をはじめ、伊能忠敬やシーボルトといった著名人が立ち寄っていたとのこと。

↑肥前名護屋城へ向かっていた徳川家康が銀杏の側の縁側で休んだとの言い伝えも残っている。


少し歩くと石坂の急坂へ。銀杏屋の係員の方が「坂(現在は坂と階段が整備されている)を下ると、一気に視界が開けますよ。そこからは木屋瀬まで平らな道が続きます」と仰っていましたが、本当にその通りでした。
江戸時代は難所だった名残りがうかがえるおもしろい場所でした。


なかなか長い道のりでしたが、ようやく木屋瀬宿に到着。


昔ながらの街並みが残されていて、なんだかホッとするような、少しタイムスリップしたような感覚になる場所ですね。
帰りは筑豊電鉄を利用。


まだまだ「長崎街道」歩き始めですが、なにかワクワクしてくるような道のりでした。

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